2019年3月5日
昨晩、夜の8時過ぎから夜中11時半までミーティングをしました。
参加者は夫アディ、その友人のハディ、私の三人。
その内容は「ロンボク島に新しいツアーを作ろう、僕たち三人で一緒にやろう」というものでした。
*
遡ること二日前、アディは偶然港でハディに会いました。
ハディは近所に住む若者で、家族ぐるみでつきあいがあります。
会った瞬間、ハディはアディの名を叫んで駆けつけたそう。
「アディ、let’s move on!!(さっさとやろうぜ)」
え、なんのこと?とポカンとするアディにハディは自分の思いを語りました。
アディは「オジさんやみどりと同じ脳みそだ!」と思ったそうです。
(参考)→バリ倶楽部のオジさんと会った日の話はこちら
アディはこの日から変わりました。
シャキーンと覚醒して、ゴールに向かってサッカーボールを打ち込むストライカーのようになりました。
ゴールとそのために必要なことがわかり、それに向かって行動しはじめたのです。
素晴らしい出会い!
*
アディはハディにすぐに私みどりも含めて三人で話し合いをしようと提案し、ハディは昨晩我が家へやってきました。
ハディは「もう黙って見ているだけの側でいたくないんだ」と言いました。
彼はこれまでアディと同じく観光業に従事していました。
彼はガイドで、アディは車や人(運転手、ポーター、ガイドなど)の手配をしています。役割は違えど、他の誰かが作ったツアーで生活しているのは同じでした。
彼は熱心に勉強し、それを仕事にいかしていたので、とても評価の高いガイドでした。
しかし、地震でお呼びがかからなくなりました。
観光客がいないのですから仕方がありません。
でも彼は知っていました。
潜在的な観光客がいることを。
多くの人々のように観光客が戻ってくるのをただ待つのではなく。
かつての自分たちのようにバリやロンボクに来た観光客を取り合いするのでもなく。
自分たちでオリジナルのツアーをつくって、それを自サイトに掲載してプロモーションして、この潜在的な観光客に自分たちを選んで来てもらいたい。
ハディはそう考えていました。
自分はガイドはできるけど一人じゃ足りないし、サイトづくりもできない。
誰かいないかな…と考えていたときアディと私の顔が思い浮かんだそう。
▲左からハディ、アディ、私。撮影は娘プットリ
私は彼にいくつか質問をしました。
これまでの何をしてきたか、どんなふうにしてお客様を獲得していたのか、など。
聞くにつれて、彼が非常に勉強熱心で、しかも人格者であることがよくわかりました。
この人と一緒なら大丈夫。
アディと私はハディの考えに合意し、三人で一緒にツアーをつくって運営していくことに決めました。
今すぐにでも企画をつくって売り出したいという彼らに一つだけお願いをしました。
「法に則ってやろうね」
お金がほしい、それはみんな同じです。
でも、売れればいいや、お金が入ってくればいいやというツアーに乗じ、ガイドに連れられて旅したいと思いますか?
思わないですよね。
だから一つ一つ、少し時間がかかってでもお客様が安心して楽しく過ごせるように整えていこうよと伝えました。
法的な旅行業の営業許可を得ることもその一つです。
私達は当面の活動を下記のように定めました。
・営業許可に関する情報を集める
・協力してくれる人を探す
・ツアー・プログラムを作る
・サイトを作る
私にはサイトづくりの大役が任されました。
うげーーーー!!!
ムリムリムリムリ、英語だし!
このサイトだけでもヒィヒィ言ってるのに!
…と逃げ出したい気持ちでいっぱいですが、やります(笑)。
サマサマセナンプロジェクトの今年(2019年)の活動目標は、以下の3本です。
1,ロンボク島ツアーの企画運営を1本でもする
2,パン屋(ベーグル屋)を開業する
3,震災セレモニーの開催(2019年8月)
ベーグル屋が一番早くできるかと思っていましたが、どうやらこれでベーグル事業は後回しになりそうです。
でも、それでいいと思います。
むしろ本格的に始まる前でよかったです。
ツアーと震災セレモニーの準備を並行して、観光のシーズンオフになったら来年度のツアーの仕込みをしながらパン屋準備を大きく進めるかんじかな。
あんなに日本で働きたがっていた夫も、ロンボクでやっていく決心がつきました。
まあ予想どおりにいかないことはありますが、最後に笑えればいいですよね!
夫アディとその仲間と一緒にロンボク島の観光業を盛り上げることから復興の一端を担えると思えば、こんなに嬉しいことはありません。
(みどり)